テラヘルツ波の無線通信への応用(2012年4月、島田雄貴)

テラヘルツ波の特性

透過性と物質の種類を見分ける機能

テラヘルツ波の独自の特性とは、物質への透過性と物質の種類を見分ける機能を併せ持っていることである。一般に周波数が3THz以下の電磁波は紙や布をある程度透過する。コンクリートなどでも表面から数mmは浸透する。一方、周波数が0.5THz以上の電磁波はちょうど高分子内の振動、または分子間の振動モードとエネルギーが近い。このため、テラヘルツ波が材料を透過すると、透過後の波の周波数スペクトルに「指紋スペクトル」と呼ばれるその材料固有の吸収帯や反射帯が刻まれる。

0.5T~3THzの領域
部の材料分析や3次元的な構造を判別

こうして0.5T~3THzの領域にあるテラヘルツ波は、透過性と指紋スペクトルという両方の性質を併せ持つ。この性質を利用することで、材料内部の材料分析や3次元的な構造を判別できる。対して、X線は透過性こそ高いものの、エネルギーが高すぎて物質の種類を見分けられない。

麻薬やプラスチック爆弾の検知
ソニーが、がん細胞を識別する研究

テラヘルツ波のこうした性質は、各種材料の化学分析、あるいは封筒中の麻薬などの検知やX線では分からないプラスチック爆弾の検知といったセキュリティー用途への応用が見込まれている。さらに最近では医療用途への応用も盛んに研究されている。例えば、ソニーは東京医科歯科大学と共同で、テラヘルツ波で撮影した生体組織切片の映像からがん細胞を識別する研究を行っている。

大容量無線伝送にも期待

テラヘルツ波の材料分析やセキュリティー用途への応用研究の多くは2000年代前半に始まっているが、最近になって、新たな可能性にも注目が集まり始めた。無線での大容量データ伝送である。

まだ割り当てがない
100GHz単位の帯域幅がいくつも利用できる

周波数が275GHz以上の電磁波は、天文学など一部を除くと、世界でまだ具体的な用途の割り当てがない。このため、既存の用途との電波干渉の懸念なしに、広い帯域を搬送波として利用できる可能性が高い。大気中での減衰を考慮しても100GHz単位の帯域幅がいくつも利用できるのである。

NHK放送技術研究所(NHK技研)が「スーパーハイビジョン(SHV)」実験
イー・アクセスも期待

こうした特徴に大きな期待をかけているのがNHK放送技術研究所(NHK技研)やイー・アクセス、ソフトバンクだ。NHK技研は、開発してきた超高精細映像を伝送する「スーパーハイビジョン(SHV)」技術の伝送媒体としてミリ波、そしてテラヘルツ波に着目している。「2012年夏のロンドン五輪では、Dual Green方式の映像の伝送を実証実験する予定だが、これには非圧縮の場合24Gビット/秒の伝送容量が必要」(NHK技研)。

情報通信研究機構(NICT)
NTTマイクロシステムインテグレーション研究所も成功

この伝送容量の無線データ伝送を実現しているのは、現時点で2グループしかない。ミリ波とテラヘルツの境界領域である75G~110GHz帯の搬送波を利用し40Gビット/秒を実現した情報通信研究機構(NICT)と大阪大学 教授 北山研一氏の研究室のグループ、そしてテラヘルツ領域の300G~400GHz帯の搬送波を用いて24Gビット/秒を確認した大阪大学 教授 永妻忠夫氏の研究室とNTTマイクロシステムインテグレーション研究所のグループである。

大きな伝送容量と低消費電力を実現

NHK技研はフルのSHVでは96Gビット/秒の伝送容量が必要としており、より広帯域の搬送波を用いる後者の技術がより大きな伝送容量と低消費電力を実現する上で今後の伸びシロが高い。NICTなどのグループも「将来的には300GHz帯へ移行してさらなる高速性を目指す」という。

周波数割り当ての動き始まる
IEEE802.15委員会が標準化を検討

無線通信によるデータ伝送分野では、放送のほか、キオスク端末などと携帯端末間の大容量通信、あるいは、チップ間通信などの各種通信用途での技術開発も始まっている。技術者の中には、近接・近距離無線通信においては将来的にテラヘルツ波を用いることで1Tビット/秒の大容量伝送が可能になるとみる向きがある。これを受けて、IEEE802.15委員会は、テラヘルツ波の各種用途についての仕様の標準化を検討し始めた。

世界無線通信会議が議論を開始

さらに、無線周波数の使われ方を管理する国際機関International Telecommunication Union Radiocommunications Sector(ITU-R)のWorld Radiocommunication Conference(WRC:世界無線通信会議)は、2012年1月にテラヘルツ波の周波数割り当てに向けた議論を開始した。遅くとも2020年には、周波数割り当ての枠組みが固まる見通しである。

技術開発に多くの課題

テラヘルツ波の応用についてさまざまな期待が高まっている一方で、実際の研究開発には多くの課題がある。これまで、テラヘルツ波が未踏の周波数だった理由がそこにあるのだ。しかも、それらのいくつかは、技術的に解決可能であるかどうかの確証もまだない。

デバイスの動作周波数が十分でない

主な課題は四つある。具体的には、(1)デバイスの動作周波数が十分でない、(2)テラヘルツ波源など各素子の出力が小さい、(3)受光素子の応答が遅い、(4)テラヘルツ波源などの装置寸法が大きい、という課題である。

500GHzを超えるのは2019~2020年か

(1)のデバイスの動作周波数については、現時点で一般的なSi半導体技術では遮断周波数fTが200G~300GHzにとどまることが課題である。素子の中には、fTに近い周波数で動作するものもあるが、アンプなどはfTの1/3程度が実際の動作帯域となる。実際、ミリ波の60GHz帯の搬送波を利用するデータ伝送技術ではCMOS技術による送受信ICが開発されているが、それ以上の周波数に対しては、現時点では化合物半導体に頼らざるを得ない。半導体技術のロードマップを作成しているInternational Technology Roadmap for Semiconductors(ITRS)は、今後Si半導体技術の微細化が順調に進んでも、fTが500GHzを超えるのは2019~2020年と予測している。

電波と光の技術間に急峻な谷

(2)のテラヘルツ波源などの出力が小さい点は、「THzギャップ」とも呼ばれている。エレクトロニクス技術側からデバイスの動作周波数を高めても、あるいは光の技術側から出力する電磁波の周波数を下げても、1T~数THz付近の周波数で出力がほとんど出なくなってしまうのだ。

THzギャップの原因

エレクトロニクス技術の側から見たTHzギャップの原因は、(1)のデバイスの動作周波数の課題と密接な関係がある。半導体の最大発振周波数(fmax)は電力増幅率が1となる周波数で、それ以上では出力が急減することを意味するからだ。

「取り出し効率」が極端に低いとの説

一方、光の技術から見たTHzギャップが起こる理由は必ずしも明らかになっていない。推測としては、光子のエネルギーが周波数に比例して小さくなることによる量子的、つまり原理的な理由に基づくという説の他、単に素子内部で発生しているテラヘルツ波を外部に取り出す「取り出し効率」が極端に低い、という説がある。例えば、「素子外部への取り出し効率は現時点で1%前後」(高度情報科学技術研究機構)と見積もる研究がある。それでもこのTHzギャップは、後述するようにゆっくりではあるがギャップが埋まる方向に進んでいる。

続く(3)の受光素子の応答性は、フォトダイオード(PD)の中で正孔の動きが遅いことに起因する。最近は、これを解決する技術がいくつか開発され、実用化されつつある。

レンズなどの光学系デバイスが小型化しにくい

最後の(4)、つまり装置の寸法が大きいのは、ガス・レーザ装置などのテラヘルツ波源となる装置やレンズなどの光学系デバイスが小型化しにくいからである。テラヘルツ波源として放射光を用いている例もあり、その場合の「装置」の寸法はビル1棟分以上に達する。

トランジスタで1THz動作狙う

これらの課題のうち、(1)の解決に向けては、InPやGaAsなどの化合物半導体の高速化競争が始まっている。当面の目標は、動作周波数1THzの実現だ。ソニーやドイツFraunhofer Institute、米Massachusetts Institute of Technology(MIT)の他、米IBM社、航空宇宙大手の米Northrop Grumman社や米Teledyne Technologies社などが動作周波数の高速化にしのぎを削っている。現時点での記録は、2011年12月に開催された半導体技術の国際学会「IEEE International Electron Devices Meeting(IEDM)2011」でTeledyne社などが発表した、fTが688GHzという高電子移動度トランジスタ(HEMT)★である。

データ伝送速度100Gビット/秒の通信も実現可能に

集積回路としてはNorthrop社などが発表した動作周波数670GHzが現時点で最高値である。Fraunhofer Institute for Applied Solid State Physics(Fraunhofer IAF)とソニーなどによる660GHzがそれに続く。ただし、「パッシべーション(封止)をした上での比較では我々のチップが世界最高水準」(ソニー システム技術研究所 センシングシステムズラボラトリー ディレクターの齋藤真氏)という。ソニーのチップはLNA(low noise amplifier)として動作可能な帯域が115G~175GHzであることから、データ伝送速度100Gビット/秒の通信も実現可能になってきたといえる。

THzギャップが埋まる寸前

(2)のテラヘルツ波源のTHzギャップを埋める技術の研究も進んでいる。エレクトロニクス技術側からのアプローチでは、例えば、共鳴トンネル・ダイオード(RTD)が該当する。HEMTなどのトランジスタは、アンプやミキサの他にアンテナをつければ送受信素子として使えるなど汎用性が高い。しかし、発振周波数の高速化という点では、送受信素子に特化したRTDがHEMTよりも有利である。

量子カスケード・レーザ(QCL)

一方、光の技術側からは、例えばレーザから発展した量子カスケード・レーザ(QCL)がTHzギャップを埋めつつある。

「今後、RTDの出力周波数は3THz程度を達成可能」

この結果、RTDとQCLは、THzギャップ付近で「対峙」する格好になっている。具体的には、現時点でRTDの最大動作周波数はドイツTechnische Universitat Darmstadt(Darmstadt大学)が2011年9月に発表した約1.1THz5)。一方、QCLは、現時点で約1.2THzまで下がってきた。「今後、RTDの出力周波数は3THz程度を達成可能」(Darmstadt大学)という主張もある。周波数と出力に関するTHzギャップが埋まるのは時間の問題になってきた。

エレ技術と光の技術が融合か

RTDとQCLは技術的にも近づきつつある。両者は開発の経緯が異なり、テラヘルツ波を出力する基本的な原理も大きく異なるものの、素子構造の点では明確な区別が難しくなってきている。RTDとQCLは共にエネルギー障壁を用いた量子井戸を利用する。異なるのは、QCLはその数がはるかに多いという点だ。一部のQCLは各量子井戸でRTDと同様な共鳴トンネル効果を利用していることも知られている。

ただし、動作特性上はRTDとQCLにはまだ大きな違いがある。RTDは室温で動作するものの出力が非常に小さいのに対して、QCLは出力は大きいが基本的には100~200Kといった極低温での動作を前提とする点だ。

2011年5月時点で世界最高速となる1.08THzで発振するRTD

2011年5月時点で世界最高速となる1.08THzで発振するRTDを開発した東京工業大学 教授の浅田雅洋氏は「両者の違いと共通点の理論的な解析はまだこれから」とする。

キヤノンはアレイ化向きのRTD

RTDは東京工業大学の浅田研究室の他、他の日本メーカーも開発に力を入れている。例えば、ロームは300GHzと発振周波数はやや低いものの、送信だけでなく受信用デバイスとしても利用可能なRTDを大阪大学 永妻研究室と共同開発し、2011年11月に発表した。発表時点での出力は周波数300GHzで20μWだが、「近い将来、300GHzでの出力を1mWに高めて通信距離10~50mの無線LAN用途に用いたい」(ローム フォトニクス研究開発センター センター長 主任研究員の大西大氏)。医療機器間通信やキオスク端末での大容量コンテンツのダウンロードなどの用途も想定しているという。

品質管理や医療用途への応用を想定

キヤノンもRTDを開発している。同社のRTDではパッチ・アンテナを利用し「面発光」を実現しているため、アレイ化が容易であることが特徴だ。同社の2011年12月時点での発振周波数の最大値は900GHz。最大500GHzだった従来から素子構造を最適化し、寄生容量を低減するなどして実現した。出力も500GHzで100μW、900GHzで10μWと現時点では最高水準といえる。出力は「周波数によらず1mWに引き上げることが目標」(キヤノン 総合R&D本部 技術フロンティア研究センター 不可視領域イメージング第二研究室 室長の尾内敏彦氏)という。尾内氏は、「テラヘルツ波の開発はまだ初期段階で、実用を考える時期ではないが、まずは品質管理や医療用途への応用を想定している」とする。

グラフェンでテラヘルツ・レーザ

RTDやQCLのほかにも、さまざまな技術を用いたテラヘルツ波源の研究開発が進んでいる。例えば、NICTは光周波数コム★の波長約1.5μmの光源を非線形光学素子に通すことで、発振周波数がほとんど揺らがない「THzコム」という波源を開発した。「既存の光側の技術では光源の周波数の精度が低く、材料分析における指紋スペクトルの測定誤差が1/100単位と大きい。これを100万分の1、できれば10億分の1以下にしたい」(NICT 未来ICT研究所 副所長の寳迫巌氏)。

炭素原子を用いたテラヘルツ波のレーザ素子

また、東北大学 電気通信研究所 教授の尾辻泰一氏の研究グループはシート状の炭素原子であるグラフェンを用いた、テラヘルツ波のレーザ素子の開発を目指している。

受信器は高速化にメド

テラヘルツ波の技術的課題の(3)、つまり受光素子の応答速度については、高速化にメドがつきつつある。一つはNTTフォトニクス研究所が2000年に最初に開発した「UTC-PD(uni-traveling-carrier photodiode)」である。これは、PDの応答を律速していた正孔の影響を低減した素子で、受信器としてだけではなく、変調器兼送信器としても利用できる。これまでの応答速度の最大値はNTTフォトニクス研究所の開発品で310GHz(3dB帯域)。狭帯域の場合は、出力が約10μWと小さいものの1THzで動作する開発品もある。

この他、赤外線を検知するボロメータの技術を応用したアンテナ兼ミキサのHEBMについても応答速度の向上が続いており、開発競争が熱気を帯びている。

小型光源で出力が2ケタ増大

(4)の装置寸法が大きいという課題は、主に光側の技術に当てはまる。テラヘルツ波源となる装置の寸法は出力と密接な関係があり、高い出力、あるいはS/Nの高い映像を得ようとすればするほど、装置が巨大になってしまう。

この点について最近、大きなブレークスルーがあった。従来より2桁高い出力をより小型の寸法で実現したテラヘルツ波源が登場したのである。2011年末、理化学研究所 テラヘルツ光源研究チームの南出泰亜氏の研究グループと名古屋大学 教授の川瀬晃道氏の研究グループは共同で、「光注入型テラヘルツ波パラメトリック発生器(is-TPG)」の最大出力を2010年時点の10Wから1.1kWに引き上げた。1.6T~2.1THzと幅広い周波数で1kW付近の出力が得られる。「注入する光の出力や発生器を構成する非線形光学結晶の結晶サイズを最適化したことなどで出力が大きく向上した」(川瀬氏)という。

システム全体としては感度が3桁向上

注入する光の光源となるレーザ素子の寸法は105mm×30mm×32mmと手のひらに載る大きさ。装置全体の占有面積もA4判程度と従来より大幅に小型化したとする。加えて、この技術では、テラヘルツ波の検出装置の感度が1桁向上している。これにより「システム全体としては感度が3桁向上した。封筒のセキュリティー検査などへの応用が近づいた」(名古屋大学の川瀬氏)という。

撮影装置も大幅に小型化

テラヘルツ波源だけでなく、撮影装置も大幅に小型化しつつある。NECは室温で動作し、しかも片手で持てる「高感度実時間非冷却テラヘルツカメラ」をNICTの委託研究として開発し、製品化した。ボロメータとMEMS技術を組み合わせた「画素」を320×240個並べた撮像素子で実現した。2012年2月の半導体関連の国際学会「International Solid-State Circuits Conference(ISSCC)2012」では、伊仏合弁STMicroelectronics社などもCMOS互換のMEMS技術でテラヘルツ波の2次元撮像素子を発表した。寸法は2.9mm角と非常に小さい。画素数は32×32画素とNECの製品に比べて少ないが、フレーム速度は25Hzで、動画も撮影可能である。

エレ技術がすべてを解決か

もっとも、こうした光側技術による装置の寸法はエレクトロニクス技術から見れば、なお大きい。前述の化合物半導体でfTが660GHzのHEMTなどを開発したソニーの齋藤氏は、エレクトロニクス側の技術でTHzギャップを超えて、数THzまで扱えるようにすることが望ましいと主張する。「現在、医療向けでフェムト秒レーザ★など光の技術が用いられている用途でも、半導体技術の適用により、装置の小型化が大幅に進む」(ソニーの齋藤氏)からだ。ただし、当面の目標は「まずは集積回路でTHzギャップを解消すること。今後5~7年以内に実現させたい」(同氏)という。

Dual Green方式とは

人間の目に対して疑似的にSHV相当となる映像の撮影や表示を実現する方式の一つ。800万画素の撮像/表示素子を緑信号に2枚、赤・青信号にそれぞれ1枚ずつ用いる。SHVの画素数は本来は8K×4K(3300万画素)。

HEMTとは

富士通研究所の三村高志氏が1980年に開発した電界効果型トランジスタの一種。チャネル層に2次元電子ガス層を形成することで、非常に高い電子移動度を実現した。

光周波数コムとは

モード同期レーザが出力する超短パルス光。周波数領域に広帯域かつ櫛状のスペクトルが並ぶのが特徴。

ボロメータとは

赤外線およびテラヘルツ波の受光素子の一つ。これらの電磁波を受光することで素子の温度が上がり、その結果として電気抵抗値が変化する現象を利用する。

HEBM(hot electron bolometer mixer)とは

ボロメータ型アンテナ兼ミキサ。数Kの極低温で利用することで応答性が非常に高くなる。

パラメトリック発生器とは

光増幅器の一種。非線形光学結晶にポンプ光とシード光を入力すると、結晶内部でエネルギーが再分配されて第3の光(アイドラー光)が出力される現象を利用する。

フェムト秒レーザとは

超短パルス・レーザとも呼ぶ。レーザのパルス幅を数f(femto:10-5)s~数十fsに縮める一方、瞬間的なピーク出力を大幅に高めて出力する。

経産省の委員会が構造化知識研究

経済産業省の産構審技術分科会の小委員会は、技術戦略マップに向けたローリング進捗状況の中間報告をまとめた。ナノバイオ、自動車用部材、次世代ロボットに必要な知能化・環境構造化技術、構造化知識研究を追加し、最新の技術動向に基づいた戦略マップを更新、技術戦略マップを研究開発マネジメントに活用する導入シナリオの検討と実行を通じて、学会、地域など外部に還元する-などが柱。3月末までにまとめる。

自動車工場の欠陥品防止対策(1999年4月)

アメリカの自動車産業が、最も威勢がよかったのはいつかということについては、大体の定説がある。 第2次大戦が終わって朝鮮戦争が始まる1950年の前後にかけてとされている。 海外に渡航する日本人はまだ、そうたくさんはいない。黄金期のアメリカ工場を見学した数少ない1人である井上四郎さんに、以前、お話をうかがったことがある。 井上さんは日本銀行の理事やアジア開発銀行の総裁を務めた方で、いまは公職を退いて自適の境涯におられる。 最新の機械を備えた工程は部外者の立ち入りが禁じられていて、見ることができたのは、見学者向けの古びたラインだったという。 それでも、複雑な工程をやすやすと制御する様は、その数年前に日産わずか8台という国内のトヨタ工場を見学していた井上さんの目には、神業に映ったそうである。

工程管理の精妙さ

案内の説明員が、こんな話をした。 大戦のおり、ここは戦車や装甲車の軍需工場に転用された。乗用車とは、部品も違えば、工程も違う。 転用するには、乗用車の生産をひとまず切り上げ、工場を休止させるのが普通のやり方である。休止の期間を利用して、工程に手を加え、再稼働させるのが常識である。 説明員によれば、その自動車工場では違った。 乗用車の最後の1台が仕上がり、ラインを流れてきた……と、その後ろから、さながら踵(きびす)を接するようにして、戦車の最初の1台がしずしずと姿を見せたのだという。 説明員の話を仮に正味半分と聞いても、工程管理の精妙さには、はるかに想像を超えるものがある。井上さんは、「こんな国と戦争するのじゃなかった」と、つくづく思ったそうである。 ふと首をかしげる人がいるかも知れない。 終戦後にはそれほど精緻(せいち)な技術を誇ったアメリカ自動車産業が、20年を経ずして品質の低下を嘆き、嘆かれる立場に変わるからである。

トヨタの豊田章一郎氏の言葉

1960年代の後半になってアメリカ製品の品質が悪くなったことの説明としては、有力な見方が1つある。 検査に力を入れ過ぎた、というものである。 自動車産業の歴史に詳しい下川浩一さんは、「世界自動車産業の興亡」(講談社現代新書)に書いている。 「品質管理を特定の専門家だけでやればよいとする風潮が職場に蔓延(まんえん)してしまったためである」と。 欠陥品は検査でハネればいいや、という考え方の蔓延である。下川さんが1978年に訪れたクライスラー社の組み立て工場では、工員2000人が作る車に、100人の検査員が張りついていたという。 日本はどうしていたかというと、トヨタ自動車会長の豊田章一郎さんに、次のような言葉がある。 「検査では、品質は良くはならない。品質は工程で作り込めと教えられたものだ」 「工程で作り込む」とは、製造に携わる1人ひとりが、自分の持ち場で最上の品質を心掛けることをいう。 この発言は実は、車が話題の席で出たものではない。 少し前、産業界で総会屋事件が相次いだ時、多くの会社が業務を点検する担当役員を置いたり、監督部門の人手を増やしたりした。 豊田さんの言葉は、こうした検査の“流行”に疑問を呈したものである。

製造業の知恵

いま多くの人が気がかりな品質は、山なす不良債権と不明朗経営で劣化した「銀行の品質」に違いない。 金融監督庁は監視の目を光らせているが、銀行みずから「工程で作り込む」ことなしに、傷だらけの品質は回復しそうにない。 前を走るアメリカの背中は遠くなってしまったが、かつては「日産8台」が「神業」を逆転した例もある。 製造業の知恵を学ばぬ手はあるまい。